さかやきかさらか

 ゆっくりと。そう、ゆっくりと。
 春人は意識を取り戻していく――。

 風の匂いが呼びかけてくるように頬をくすぐり、草木のざわめく音が鈴鳴っている。
 体を起こし、目に飛び込んできたのは、どこまでも広がっていきそうな空。
 ついさっきまで空調の切れていた屋内施設にいたのが嘘みたいな光景が広がっていた。
 
 往来を闊歩するのは、刀を佩いたチョンマゲ頭のお侍さん。
 笠を被り、肩に荷を乗せ、息を切らせ運ぶ飛脚。
 雅と形容するに相応しい着物を着た……。
 
「これが時代劇なんだってのはわかるよ。爺ちゃんが夕方にテレビで見てたアレだろ。わかるよ。でも……」
 そう時代劇に出てくる登場人物はあんな色をしていない。あんなに丸っこくもない。
「人間じゃないのはわかるんだけど」
春人がお侍さんタイプの何かに目を凝らしてみると、頭に一つだけ思い浮かぶ生き物がいた。ただ、それを認めてしまっては後戻りできないような気持ちになった。
 
 ファンシーな夢の国にいたはずの自分が、気付いたら時代劇のような世界にいる。この「事実」が、時を経る毎に本当の「事実」となって突きつけられているような気がした。
 響く太鼓の音。軽やかに動く笛の音。少しずつ感覚が戻ってくる。

「――あれは、カッパだ」

 実在しないものが実在しているという事実を認めるということは、もうこの先に何が起こってもおかしくないということだ。今まで自分が自分として生きてきた過程において、体得してきた何もかもが通用しないかもしれない。そんな心細い状況に直面して、春人は溜息混じりに笑ってしまった。
 
「あれが本当にカッパだとすると、あの頭に乗ってんのは月代なのか皿なのか」
どうしようもない状況で、しょうもないことを考えてしまった自分に、続けて笑ってしまい、ほんの少しだけだが気持ちが落ち着いていくのがわかった。

 春人には小さい頃からの癖があった。それは不安になると自分のお尻を触ってしまうという、何とも情けないものだった。親からはやめなさいと言われ、学校の先生にはふざけないでと注意され、小学校時代の友達からも時おりネタにされてしまうやつだ。ただ、無意識にやってしまうことを責められてもなという想いはあった。

 さっきまでアトラクションで宙吊りになっていた時より、不安な気持ちになってもおかしくない状況だよなと考えながら、春人は自身の手がお尻に触れてないことに気付いた。

 右手をまじまじと見つめる。
 今までの自分は、与えられた役割だとか、決められたルールだとか、そういったものに閉塞感を感じながらも、それを良しとしてきた節があった。それはそういうものなのだから仕方ないのだと。自分はそういうものなんだと。
 でも今はこういう状況だからこそ、何かができる自分を見つけられるのかもしれない。ゲームじゃないけど、こういう試されるシチュエーションに、どこかワクワクしている自分がいる。

「こういう時に大丈夫なんだってのは、意外に大物なのかもしれないな」
 誰にともなく春人が口にした言葉は風に乗っていく。
 遠くに見えるお城の天守閣まで届いていった。そんな気がした。

BGM Info

アーティスト紹介
Teada
得意ジャンル
ピアノ・オーケストラなど
心掛けてる事
story性ある情景・遊び心